おはようございます。ののです。
弁理士試験受験生のときによく耳にした噂があります。
私がよく耳にしたのは以下の二つです。
1. 弁理士に受かっても意味がない
これを聞いたときに、じゃあなぜ弁理士を受けているのだろうか?と思いました。
弁理士試験を受験されている方は、高学歴な方が多いです。
多分弁理士に受かる前もだいぶよかった方なんでしょうね。
だから、弁理士に受かってもあまり変わらないのだと思います。
例えば、
1億円持ってる人が、300万増えてもあまり変わらないと思いますが、
100万円持ってる人だったら、すごい変わったって思うわけです。
私は後者側でしたからすごく変わりましたし、意味があるものだと思いました。
私の結論としては、意味はありますが、意味を感じられる受験生は少ないのではないかということです。
2.弁理士に受かっただけでは飯は食えない
誤解を恐れずに申し上げますと、
いつの時代も資格に受かっただけでは飯は食えません。
ですから、これはそりゃそうだってなります。
これは別に弁理士だからってわけではなく、
- 料理を作れるだけでは飯が食えない。
- プログラムができるだけでは飯が食えない。
- 野球がプロ並みに上手いだけでは飯が食えない。
といってるのに近いです。
何が言いたいかというと、
資格を利用して行動をしない人は飯は食えませんが、行動をする人は普通の人より動きやすいから飯が食いやすい。
ということです。
弁理士に受かって最初に思ったのは同期のつながりや、コミュニティの広さ、弁理士試験に受かったことに対する周りの反応が違うということです。
普通の人が信用を得るためにすごく努力をしなくてはいけないところを、弁理士試験に受かったことで、得られやすくなるということです。
ここで、いろいろ行動をすれば、信用を元にいろいろなことができるようになり、チャンスが舞い込んできます。
このチャンスを与えられるということ自体、信用がなければ難しいですからね。
このチャンスをものにしていくことで飯が食いやすい状態になります。
私の結論は、
弁理士に受かっただけでは飯は食えないが、行動しやすい信用が普通より得られやすくなるから、どんどん行動しよう
です。
給料の話がよくでますが、給料は行動に対する対価と考えてみるとよいかもしれません。
行動の制約の多い人は給料は上がりにくいですが、ない人は上がりやすいです。
弁理士に受かるとこの制約が少なくなるぐらいに感じかもしれません。