ののの人生充実研究所

人生充実をテーマに弁理士、インバスケット、配当金などについて試したこと、思ったことを扱います

他人の評価で生きてもろくなことがない

身の丈に合わせる。

素晴らしい言葉ですね。

何かに失敗したら身の丈に合わないことをやったからだ。

と、したり顔で言われます。

弁理士を受験したときに言われた、

身の丈にあったことをした方が良い。

については、取らなきゃいかんからやってるのに身の丈もへったくれもあるかよと、周りの言葉を無視してやってました。

結果、受かりました。

受かったら、受かったで、糧になっただろとか、いけると思っていた的な話をされます。

それを聞いて、

すげぇ無責任な言葉じゃないか?

身の丈に合わせるって

と思ったんですよ。

次に、調子こいて法律資格を目指したら、また言われるんですよ。

身の丈問題。

糧にしろってことなんかなと思い、

糧にします。

といったら、そうではないみたいな雰囲気なんですよね。

どう考えても。

身の丈にあってないからやめろ

が正しいっぽい。

いつまで続くかというと、受かるまでなんですよ。

受かると、糧になっただろとか、いけると思っていたみたいな感じになる、

それを見て、また、身の丈って無責任な言葉じゃないかと思うわけです。

ちなみに、資格を受ける時にまわりにわたし弁理士うけます、とか宣言してませんからね。

会社でちょっと本読んだりしてるのを見て、いってくるんですよね。

条文みてる→弁理士受ける?

みたいな短絡的な連想ゲームで受ける感じになる。

そして、飲み会とかで言われたりするからめんどくさい。

最初はわたしのことをなんでこんなに知ってるんだろう、好きなの?みたいなラブストーリーは突然に的な展開を期待してましたが、どうやらわたしのことをなんも知らないし、あまり好きじゃないんだなとわかりました。

 

好かれていないのはわたしの不徳の致すところです。

申し訳ございません。

土下座_(-ω-`_)⌒)_

 

正直、周りからの身の丈的な話って大半はやめた方が良いという言葉を比喩的に使ってるだけなんだよね。

なんかやるというとやめた方が良いという話をしたがるのが人ってもんだよね。

 

でも、周りからの評価による身の丈に合わせちゃうとエライ目にあうんだよね。

だって、

自分が、今ダメだと思ってるから、変えようとするために、チャレンジしているのだから。

周りからチャレンジ内容をやめろと言われてやめちゃうと今ダメな部分は解決しないよね。

それに、周りの評価であきらめちゃったりしても、自己責任で片付けられちゃう。

やめろとはいってない、身の丈に合わせろといっただけみたいなノリです。

無責任でしょ。

アマゾンで商品買ってコンビニで支払ったら、物が来なくて、かわりにアマゾンポイントが返ってくるくらい無責任でしょ。

 

はっきりいうと、

周りの評価を

無視してやってダメでも自己責任

受け入れてダメでも自己責任

であり、

無視してやってうまくいったら誰責任?

ってな話です。

今がダメなら周りの評価をあまり気にしちゃいけないと思いますよ。

どうせだめなら、やっちゃえばいい。

今がだめだから、やるというロジックの中では、やらない判断は、すなわちダメという話だからです。

いかぬは地獄、行けば天国の可能性があるみたいな話。

 

昔、周りの評価に惑わされすぎてろくなことがありませんでしたからね。

周りの評価の前にまずは自分で評価してみましょ。

それが一番の責任ある判断だし、自分の人生を生きる上では重要なことだと思いました。